昔の文学って、何が言いたいのかわからないの、たくさんありますよね。
三島由紀夫の「金閣寺」もまさにそうです。
固い文学好きな私も、はっきり言って「金閣寺」はわけわかりませんでした(笑)
お手上げです…。
「あれ?おかしいな…読解力はあると思ってたのに…どこか読み飛ばしたかな?」と思ってもう一度読むわけですよ、金閣寺を。
でもわからんのです。
「なんだよこれ…なんでこの人こんなに【金閣寺ラブ】なのよ…意味わからんw」と思って読んでいました。
女性と2回ほどキスしたりして「童貞をなくすチャンス」があったのに、いつも女性が「金閣に見えてきて←」最後までいかずに終わるんですよね…?意味が分からない。
三島由紀夫の「金閣寺」は、純文学の中で最もわかりにくいと言っても過言ではありません。
でもめっちゃ読まれてる人気作品なんです。
「なんで?なんで?」
と思って調べてみると…
なるほど!
わかりました!
三島由紀夫の「金閣寺」が有名作品の理由がわかりました。
「金閣寺」は実際の金閣寺放火事件をモデルに書かれた「戦中戦後の日本人がもった感情が、綿密に描かれた作品だから」なんです。
戦中戦後を経験していない人にはわかりにくいですが、発表当時から今まで絶賛され続けているのは、この世の中の最たる暴力である「戦争」の後にくる人々の心情がリアルに描かれているものだからなんですね。
今回は三島由紀夫の金閣寺のあらすじと感想を紹介していきますね。
ネタバレしたくない方はこの先は読まないでくださいね。
- 面白さ:
- 読みやすさ:
- 導入の引きこみ:
- 読んだ後の満足感:
- 読むのにかかった時間:100分
私は本はAmazonオーディブルで聞き流しで読んでいます。
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三島由紀夫の金閣寺のあらすじ
福井県舞鶴の崩れかけた檀家に生まれた溝口少年が主人公です。
生まれつきの吃音(どもり)があるために、引っ込み思案に成長を重ねた彼には、病の父と野心家の母がいました。
病の父は一人息子の将来のために、知り合いだった金閣寺の住職に引き合わせます。
はじめてみる金閣寺の美しさは溝口少年の胸を打ち、それから少年はずっと、金閣寺に心奪われ続けます。
父の死後、金閣寺で奉公を続ける主人公溝口少年は、住職の温情で大学まで通わせてもらえます。
しかし美の象徴である金閣寺の住職は、参拝客の落とすお金で自分だけ酒に女と豪遊し、奉公する青年達には質素倹約を強いる人物。
病で寝ている父と自分のすぐ横の布団で、客人と不貞行為をしていた母は、「奉公に励んで金閣寺の住職になれ」と野心を押し付けてくる…。
初恋は足蹴にされ、唯一の親友は死に、股関節に障害を持つ桂木は同じ「障害者」なのに世間の美しい人々から愛される術を身につけていた。
桂木からの紹介で、2度女性と性関係を持ちそうになるが、そのたびに溝口青年の前には「金閣寺の幻」が現れ、女性を抱けません。
(なんで?wwwわからんww)
太平洋戦争と敗戦も背景に重くのしかかります。
吃音ゆえに見下されてきて、ひたすら金閣寺に心の中で話しかける日々。
溝口少年は、ある時「金閣寺を焼こう」と決意します。
そして、物理的にも精神的にも準備を進め、最後に金閣寺を焼きます。
金閣寺の感想
さて…三島由紀夫の金閣寺を読んだことのない方も、ある方も、疑問に思いませんか?
「だから何で金閣寺を焼いたの?」
となりませんか?w
途中までは私も楽しんでサクサクと読んでいたんですよ。
三島由紀夫さんは純文学の割には読みやすいし、弱い人間の心理描写が絶妙に描かれているから、現代でも十分感情移入して「うんうん、わかるわかる」とか「いるよね、こういうやつ」などと共感して読めるんです。
「命売ります」とか「潮騒」とか普通に面白作品です。
でも金閣寺は、そんな調子で読み進めていくと、突然「そうだ、金閣寺を燃やそう」となるから、「あれ?どっか読み飛ばした?なんでこういう結論に行った?」と迷いますw
「そうだ、京都、行こう」のノリで、急に「そうだ、金閣寺、燃やそう」となるんですよw
いやいや、ちょっと待って待ってw
そこまでの感情の紆余曲折があったはずなのに、理解してなかった?w
ともかく、先を読めば金閣寺を燃やす理由がわかるかも…
と思って読み進めても、結局よくわからないままで終わりますw
で、あとがきを読んで「史実の金閣寺放火事件の影響を受けて書かれた作品」とあり、なぁんだ、史実の犯罪者の心理を追ったフィクションだったのね。と納得します。
犯罪者心理は、そりゃわからんわ。私一般人だし、となるんです。
でも、三島由紀夫さんのメッセージをくみ取りたいので、頭を絞って何度も読み直して、「なぜ主人公は金閣寺を燃やしたのか」を考えてみました。
金閣を燃やした理由
金閣寺放火事件のあと、様々な人が犯人の林承賢(この小説の中では溝口青年)に密着取材をしています。
「なぜ金閣寺を燃やしたのか?」
その犯行の理由を、多くの人がいろんな角度から考えているのです。中でも興味深いのは、「金閣寺」を書いた三島由紀夫と、同じ事件を小説にした「金閣寺炎上」を書いた水上勉さんの解釈の違いです。
2010年に酒井順子さん著の「金閣寺の燃やし方」で、この2人の作家さんの金閣寺放火事件の犯人の心理は、くっきりと分かれています。
上の本を読んで初めて「金閣寺」が理解できてきました。
溝口青年が金閣寺を燃やした理由は、2つに集約できるんです。
1:戦争中に持っていた危機感を思い出させるため
金閣を燃やそうと決意したとき、溝口青年は言います。
「金閣を焼けば、その教育的効果はいちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ」と。
これはつまり、永遠不滅と思っていたものが壊れることで、人々に「明日は何が起こるかわからない」という当然の危機感を学ばせるために金閣寺を燃やした、と言うことです。
なるほど…。
でもなぜあなたが、望んでいない我々に、こんなに乱暴に物事を教えるのでしょうか?
とも思うけど、「金閣寺」を読んでいると、それも納得できちゃいます。
そのくらい、戦後の日本は敗戦国としてみじめな有様だったのです。
海外に心も体も売り払い、ひたすら媚びを売って、不変の日本の誇りであるはずの金閣すら、外国人に手あかを付けられ、そのお金で上級職の坊主たちだけが破格の贅沢をし続けている…。
貧困で、吃音ゆえに知人友人もなく、社会の最下層の辛さをなめていた溝口青年は、下の方から雲の上の金閣や、それに群がる人たちを見つづけ、言いようのない思いが蓄積されて行きます。
お前ら、俺たちの愛する金閣を、あまり舐めていると、燃やしちゃうぞ?
と。
2:美への嫉妬から
溝口青年は、吃音という障害を持っていたために、「普通に生まれた健常な人たち」と同じようには生きられません。
「普通の人たち」は自分には手の届かない遠い世界の憧れなんです。
そして金閣は、「普通に生まれた健常な人たち」ですら憧れを抱く大きな存在なのです。
燃やしたかったのはきっと…
金閣寺に囚われすぎている自分自身だったのかもしれませんね。
燃やしたかったのは、
「健常に生まれた人たち」に嫉妬し続ける自分の心だったのかもしれません。
溝口青年にとって憎むべきは「金閣寺の周りに群がる健常に生まれた人々」であり、それをいつまでも遠くから見つめて嫉妬してるだけの自分を、本当は壊したかったのだと思います。
よくある「三島由紀夫の金閣寺放火事件の解釈は、美への反感だ」と言うのは、そういうことです。
多分…
実際に金閣寺放火事件を起こした林被告の調書では…
一、私が金閣を焼いたことは、私の行いを見ると見にくいので美に対する嫉妬の考えから焼いたのですが、真の気持ちは表現しにくいのであります。
と答えています。(一部抜粋)
林被告は、「美しい物に対する嫉妬心から金閣寺を燃やした」と供述しているんです。
三島由紀夫さんは「金閣寺」の中でもこの証言の理由の通り、犯行の理由を「美しい物に対する嫉妬から」と位置付けて書いています。
吃音症に生まれ、世界と自分の間には大きな溝があり、孤独の中でひたすら健全に生まれた美しい人たちに嫉妬と羨望の気持ちを持ち続けた溝口青年。
にしても、金閣寺の住職とか、アメリカ兵とかを殺すのならまだ理解できるのですが、やっぱり「何で金閣寺燃やしたの?」とモヤモヤしますw
3:戦後の「不変」と理不尽な不平等から
溝口青年が金閣寺を燃やした、もう一つの理由は「戦争」にありました。
三島由紀夫の「金閣寺」でも、背景にある戦争は主人公に大きな影響を与えています。
実際の金閣寺放火事件の犯人の林被告は、「美への嫉妬」以外に、こうも供述しています。
一、私たちお互いの生活は苦しいけれども、金閣寺に毎日何百人かの人がぞろぞろ遊びに来ることに付けても或程度の嫉妬を感じておりました。
戦時中も、戦後も、溝口青年たちのような下層の坊主たちは、ご飯も質素で飢えていました。
そして金閣寺にチャラチャラ着飾ったアメリカ兵や、それに媚びを売る女性たちが来るのを、複雑な思いで見守っていたのです。
膨れ上がった拝観料で、金閣寺の事務局や住職だけ贅沢をしているのは、禅の世界に生きる溝口青年にとっては許しがたいことだったのでしょう。
林被告は「嫉妬」と供述していますが、小説の「金閣寺」の中の溝口青年は「嫉妬」というよりは「彼らを戒めなければ」という思いが強いように書かれていました。
お前ら、浮かれすぎだから金閣寺焼いちゃうよ?
と。
溝口青年にとって「美の象徴」の金閣なのに、ちゃらちゃらと着飾って「観光地」にするなよ。という怒りも感じるんです。
「金閣寺が戦争で焼けなかったからって、ずっとそこにあると思うなよ?
燃やしたら、なくなるからね?
って、俺が教えとかなきゃ、愚かなこいつらずっと金閣を「金儲け」や「観光地」に使いそうだな…。俺の金閣なのに(熱い金閣ラブ)。」
…というわけです。溝口君は愛していますから、金閣のことを。
そもそも戦争中は、溝口君は幸せだったんです。
金閣もまた、私たちと同じ突端に立っていて、対面し、対話した。空襲の期待が、こんなにも私たちと金閣とを近づけた。…今まではこの建築の、不朽の時間が私を圧し、私を隔てていたのに、やがて焼夷弾の火に焼かれるその運命は、私たちの運命にすり寄って来た。金閣はあるいは私たちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は私たちと同じ生を生きているように思われた。
このように書かれています。
「金閣と俺は、空襲で一緒に消滅するかもしれない。金閣と俺は、同じ立場!」
と幸せを感じているんです。憧れの金閣が、自分と同じように「明日死ぬかもしれない運命」にあることが嬉しくて仕方ないんです。
しかし金閣が燃えることなく、戦争は終わりました。
私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。
溝口少年は戦争が終わったことを悲しみます。
「戦争中は金閣と俺は【一緒に死ねるかもしれない】ってくらい近い存在だったのに、戦後は金閣はまた【不変の存在】になってしまった…。俺から遠ざかってしまった…。」
と。
溝口青年の深い金閣愛にひかないでください…
そして溝口青年が愛する金閣には、アメリカ兵やみだらな人たちが山ほど手あかを付けにやってくるようになります。
今までの金閣の拝観者は、軍服や作業服やもんぺ姿の、つつましいまばらな客でしかなかった。やがて占領軍が到着し、俗世のみだらな風俗が金閣の周りに群がるにいたった。
物語の中で、戦後に日本にいたアメリカ兵と「パンパン」と呼ばれる娼婦が金閣寺に来るシーンがあります。案内していた溝口青年に、アメリカ兵が突然「この女の腹を踏め!もっと踏め!」と命令してきます。
言われるままに女の腹を何度も踏んで、奇妙な恍惚を味わう主人公…。その後女は流産したと聞かされます。
溝口青年が金閣寺に居づらくなった発端の事件ですが、アメリカ兵の子どもを妊娠したのに、流産させられた女性の描写には、戦争の敗戦国であるという屈辱が垣間見えます。
溝口青年たちはひもじい中、奉公をしているのに、着飾った参拝客は金閣寺に山ほどお金を落としておき、金銭管理をする事務局や位の高い僧たちだけが、足しげく花街に通って豪遊するんです。
その「お金稼ぎの道具」にされている金閣は、戦時中は溝口青年と運命を共にしていた大切な存在…。
「そうだ。金閣寺、燃やそう。」と自分だけの美しい金閣を、守るための行為だったのかもしれません。
と、ここまで読んでも…
やっぱり何で金閣寺燃やしたかわからんわw
って方は、以下にわかりやすい例え話を書いてみたのでご覧ください。
金閣寺を●●に例えるとわかりやすくなる
溝口青年は、有為子という女性に初めての恋をしました。
「金閣寺」という小説の「金閣」の部分がすべて、「有為子」であれば、この小説は一気にわかりやすくなります。
例えば、友人の柏木の紹介で、ある女性とキスしたときのことです。
私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。そのとき金閣が現れたのである。…下宿の娘は小さく、塵のように飛び去った。
人生で初めて女性とキスしたときに、その女性との間に「金閣」が現れ、束の間の幻をみて、それ以上の行為ができなかったんです。
「なんで女性が金閣になるの?」と意味不明ですが、「金閣」を「有為子」にすると、よくわかります。
「私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。そのとき有為子が現れたのである。…下宿の娘は小さく、塵のように飛び去った。」
どうでしょうか?
これなら自然じゃない??
死んでしまった初恋の女性を引きずっている主人公が、現実に生きてる女性と関係を築けない…というのなら、なんとなくわかりますよね。
次に、2回目の女性経験のチャンスの時も例に挙げてみましょう。
女の襟は崩れた。白い胸がほのみえるところから、女の手は左の乳房をかき出して、私の前に示した。…私の言おうとしていることを察してもらいたい。またそこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。
女性の方から胸をはだけてくれた絶好のチャンスでも、溝口青年は金閣を見てしまいます…。しかも「乳房が金閣に変貌した」って、どういうことでしょうか?w
この場面も、「金閣」を「有為子」に変えてみましょう。
「またそこに有為子が出現した。というよりは、乳房が有為子に変貌したのである。」
これならまだ、わかりますよね。
あぁ、死んだ初恋の女の子を引きずってるんだな。と。
溝口青年は金閣を「手に届かない高値の花のような女性」のように愛している。と置き換えると「金閣寺」は途端に読みやすい小説となります。
戦時中は「一緒に空襲で焼けるかもしれない運命」として近くに感じていたのに、戦後、彼女はアメリカ兵やふしだらな人種の食い物になり、みんな彼女をだしにお金儲けをしている姿を遠くから眺め、「こんなの本当の彼女ではない!」と真に彼女を理解しているのは自分だけだと言わんばかりに、殺害という犯行を思い立った…と思うとすごく理解できます。
今でいう金閣寺オタだったということですね、要するに。
これは「アプレゲール犯罪」である
金閣寺放火事件は「アプレゲール犯罪」と位置付けられています。
フランス語の「アプレ=後」「ゲール=戦争」からくるアプレゲールという名称は、戦後の犯罪によく使われました。
戦争前に天皇を唯一絶対の神として、命を捧げることを正義とした思想は、敗戦後に崩れ去りました。
そして戦前の価値観が崩れ落ちた後の世代の若者たちによる、無秩序で道徳観を欠いた犯罪が多数起ったのです。
- 光クラブ事件(1949年11月24日)
- 鉱工品貿易公団横領事件(1950年4月19日) – 早船事件とも呼ばれる。
- 金閣寺放火事件(1950年7月2日)←
- 日大ギャング事件(1950年9月22日)
- 築地八宝亭一家殺人事件(1951年2月22日)
- バー・メッカ殺人事件(1953年7月27日)
- カービン銃ギャング事件(1954年6月14日)
金閣寺のあらすじ感想・まとめ
三島由紀夫さんの金閣寺、難しすぎて根をあげたかたのために、私の個人的感想と解釈をまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。
何が一番すごいかと言うと、「全然意味わからないのに、最後まで読ませ切る三島由紀夫の魅力」です。
他にもお堅い文学の解説を書いているので、他の記事も参考にしていただければ嬉しいです。
私は本はAmazonオーディブルで聞き流しで読んでいます。
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読み聞かせてもらってる気分で、普通に活字で読むよりも内容の入り方が違うので、オーディブルを試したことのない方は、一度試していただきたいと思っています。
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