「海流のなかの島々」と言うと、アラフォーのわたし世代は「バナナフィッシュ」で知った方も多いと思うんですよ(笑)
かくいう私も高校生の時にバナナフィッシュを読んでいて興味を持って、「海流のなかの島々」を読んだくちです。当時は意味なんて分かってなかったのに「わかった気」になってアッシュに一歩近づいている気分の痛い奴でした…。
今回は大人になって改めてヘミングウェイを読破し、わかった点も多かったために「海流のなかの島々」のあらすじと見どころポイントをまとめてみました。
読んでも理解できなかった方の助けになればと願います。
ネタバレも含まれるため、見たくない方はここまでですよ!
各章の大切なオチだけは伏せました。名作なのでぜひ、手に取って読んで確かめていただければと思います。
- 面白さ: (3 / 5)
- 読みやすさ: (2 / 5)
- 導入の引きこみ: (3.5 / 5)
- 読んだ後の満足感: (5 / 5)
- 読むのにかかった時間:300分(多分)
他にも「老人と海」や「誰がために鐘は鳴る」の考察も書いているので、併せてご覧ください。
海流のなかの島々・舞台はどこ?
海流のなかの島々の「海流」とは「ガルフ・ストリーム」。つまりメキシコ湾流を指しています。フロリダ沖からキューバ沖にかけてこの海流が通る一帯の地域はヘミングウェイの作品に何度も登場します。
バナナフィッシュのブランカが引退後に住んでたのもこの地域ですね(笑)「老人と海」もこのあたりのお話です。
海流のなかの島々・登場人物
トマス・ハドソン
主人公。作中では「トム」「ハドソン」と呼ばれる。大成している画家であり、かなりの資産家で推定40歳前後と思われる。話の当初はキューバの北部のビミニ諸島に邸宅があり、海の側で創作活動に励んでいる。2度(多分)の結婚をしており、1度目の結婚で1人、2度目の結婚で2人の、合計3人の息子がいる。スマートでウェットに富んだ会話をし、酒の席でも女性の口説き方も心得ているハンサムな男性と推測できる。不動産をいくつか持っている描写があることから資産的にも裕福ではあるが、作中には一貫して「孤独」が漂っている。
若トム
トムの長男で、最初の結婚で出来た子ども。「赤ん坊だった若トムと~」と、最初の結婚で家族3人でフランスのパリで過ごした記憶が何度も作中で繰り返され、主人公の人生の背中ともいえる苦しい時代をともに生きた同志のような語られ方をする。第1章の「ビミニ」で登場し、スポーツ万能成績優秀でカリスマ性もあり自身の考えをスマートに話す様子などから、父によく似たハンサムな青年を思わせる。
デイビッド
主人公トムの次男で、2度目の結婚で最初に産まれた男子。長男や末っ子のような利発性はないものの、忍耐力や細い体に秘められた闘志はすさまじく、父からも尊敬される精神力の強さを持つ青年。末っ子アンドルーとしょっちゅう兄弟げんかをしていてほほえましい(笑)
アンドルー
トムの3番目の子供で、2番目の結婚で生まれた三男坊。末っ子らしい快活さと積極性と競争心を持ち、将来は楽しみな特性がてんこ盛りだが、幼さゆえに兄におよばない自分を嘆く。
ロジャー・デイヴィス
主人公トムの友人で、同類の人物。次男のデイビッドと心通わせ、釣りの指導をしてくれる。
若トムの母親
主人公トムが作中で何度も何度も思い出し、できるならばもう一度一緒に暮らしたいと、切に願い続ける女性。おそらく大女優で、「あなたの映画は全て見ました!」とファンが駆け寄ってくるほどの有名人。恋多き女のような描写をされており、自分に正直に自由に生きている。トムを確かに愛してはいるけど、愛しているのはトムだけではなく、自分に関わる男性全てに平等に自由に愛や恵みや鞭をくれるようなイメージ。ヘミングウェイの持つ「海」そのものような女性である。
ものすごく「男性のイメージする海そのもの!」という女性
海流のなかの島々・あらすじ
「海流のなかの島々」は作者のヘミングウェイの死後に、妻のメアリー・ヘミングウェイが発見して、ほぼ手を加えずに編集者たちと力を合わせて出版に至った作品です。
作品の冒頭には「生前夫が当然行ったであろう誤字脱字の修正やカットのみで、一切加筆などしておりません」と前書きしてあります。
ただ、作品を構成する3つの章のタイトルが変わっており、「若き海→ビミニ」「不在の海→キューバ」「存在する海→洋上」となりました。そしてこの後に第四章的に「老人と海」が存在します。老人と海はヘミングウェイがノーベル平和文学賞を受賞したきっかけとなった作品で、世界的に有名な短編小説です。
第一章・ビミニ「若き海」
第一章は「老人と海」と似ている内容です。2度の離婚をした画家のトムがビミニの家で一人暮らしをしているときに、長期休暇を利用して3人の子どもたちが遊びに来る回です。若トム、デイビッド、アンドルーという3人の子どもたちの特性をしっかりと書いて、それぞれの魅力と欠点を挙げ、父として子どもたちの成長をどれほど楽しみにしているかという父性愛にあふれた章です。
特に次男のデイビッドは洋上で大きなカマスを釣り上げるために数時間釣りざおを握りしめ、見事に戦い抜きます。ひょろっとしたか弱い男の子のイメージだったけど、要所要所で危機に対応する精神力の強さを描写され、トムの親友のロジャーにも一番将来を楽しみとされる子どもでした。
カマスを釣り上げるまでの格闘の描写は、老人と海を思わせる長さでした。「老人と海」と違ってデイビッドには父や兄弟やロジャーの助けがあったにも関わらず、釣りが魚と自分の一騎打ちで、孤独な戦いなのだと思い知る章でもあります。
若トムは父のトムのようなカリスマ性と優しさ、包容力を感じさせる子で、3男のアンドルーは幼さゆえに至らない面も多いものの、才能や特性を父親がしっかりと見つけており、成長が楽しみな描写が際立ちます。
このアンドルーは、実在のヘミングウェイの3男のグレゴリーがモデルであると思われます。
3人の子どもの魅力がふんだんに描かれた章であるからこそ、最後の衝撃はすさまじいものがありました。
第二章・キューバ「不在の海」
第二章の「キューバ」の見どころは「飲んだくれていること」と「若トムの母親登場」と「若トムの拾った猫」というところです。「キューバ」では始終飲んだくれている主人公トムで、ヘミングウェイがつけた「不在の海」というタイトル通り、海には一切出ません。
第二章では、戦争によって長男の若トムが戦死したことが明らかになります。
そのために酒場の女を相手に延々と過去の自分の女性歴を語るなど、飲んだくれている描写が際立ちます。話の背景があまりにも重い上に、会話のターンが長く読むのに辛い章ではありますが、この章の途中で突然若トムの母親が登場して、ストーリーがビシッと引き締まります。
若トムの母は美しく優しく、けどかつて浮気でトムを捨てた女性でもあり、まるでうつろいゆく「海」そのもののような魅力の女性として描かれています。愛する息子を亡くした気持ちを消化できずに再会する2人ですが、結局2人が出会っても、息子を亡くした辛さをどうすることもできない。
「何とか彼女の立ち直る力になりたい」とトムは願うものの、無情にも兵役に駆り出されます。
第三章・洋上「存在する海」
突然洋上で4~5人の仲間たちとともにドイツ兵の追跡劇が始まります。おそらく船長として舵をとるトム・ハドソンが指揮をとる舞台は、旋回する地域の小さな島々のドイツ兵の痕跡をたどりながら、捕虜として捕まえることを目的に追跡をします。
船のデッキや入り江や海を「女性」や時には「女性器」に例えて、洋上で男たちが軽口を言いながらも、命をかけた手に汗握る攻防戦が繰り広げられます。
部下からの信頼が厚く愛されているトムですが…心はおそらく前章までの子どもたちの死に取りつかれており、始終酒に酔っているかのような印象。命がけの攻防戦の最中でさえ、「死は酔いの延長」と言わんばかりの自暴自棄さが垣間見えます。
「あんたは自分に惚れてくれる人間のことは、何一つわかりゃしねぇ人だ」という作品最後の一言が、物語全体に思い一石を投じます。
海流のなかの島々が名作と言われる理由
「海流のなかの島々」が名作と言われる理由は、以下の点です。
- 男女の愛をテーマにしているから
- 父性愛をテーマにしているから
- 書かれた時代を綿密に書き出しているから(戦争)
「海流のなかの島々」は男女や親子の愛が深く描かれていますが、その「愛」が海への思慕と混ざり合って非常にわかりにくくなっています。更にはヘミングウェイ自身が未完のまま亡くなってしまったために、書きなぐりの会話のシーンが多く、「結局何が言いたいの?」というポイントがわかりにくく、読み手には不親切な内容になっています。
けど、よくよく読んでみると、女性への愛を海への愛とかぶらせて表現しており、3人の息子(特に長男)への父性愛にあふれた内容です。そして時代背景をしっかりと取り入れており、戦争が一般人に振り落とす不幸についても書かれています。
ヘミングウェイの作品は「ハードボイルド文学」の原点ともいわれており、乱暴で荒々しく男っぽい不器用な書き方をされていますが、その中でも一番荒っぽい作品が「海流のなかの島々」と言うことができます。
他の作品はもっと読みやすい
海流のなかの島々・感想
「海流のなかの島々」を読んでいると、切っては切れない男女の関係の変化を見続けているような気になります。
- 第一章ビミニ「若き海」…愛し合う男女の営みの後に、子どもが生まれ輝かしい未来が生まれる。
- 第二章キューバ「不在の海」…交通事故や戦争で未来が突然奪われ、ひたすら自慰行為を行うかのような男性。こんな自分を見て受け入れてほしいと願うひたむきな思い。
- 第三章洋上「存在する海」…戦争は土地や民族に対する劣悪なレイプ行為である。
私がそう思うのは作中で繰り返し女性への思慕が語られるからです。第三章の「洋上」では何度も湾や入り江や船までをも女性の性器に例えており、「船をあのマ●コに突っ込もう」などレイプ行為を連想させるかのような書き方をしています。
第二章の途中までは酒場の女相手にひたすら自慰行為を繰り返し見せるかのような(実際は飲んだくれてしゃべっているだけ)描写が延々と続き「うぇっ」とくるのですが、途中で若トムの母が登場してからは、自慰行為はスッとなくなり「元妻を支えたい頼もしい男の顔」に切り替わります。男性は好きな女性の前ではかっこつけて、どうでもいい女性の前では素の自分をさらけ出す、という傾向にありますよね。どこまで行っても「こんな俺」でしかない「俺」を、ありのまま包み込んでほしいという「若トムの母」に対する願いのようなものも感じます。飲んだくれるという行動以外は子どもたちの死を決して嘆いて苦しむ描写はないゆえに余計に苦しく、第二章では始終泣き叫びたい気持ちを「若トムの母」にぶつけていいのに!と思います。
作品全体が「海」という名の「女性」への思慕や「口説き文句」のような雰囲気を漂わせていますが、「男の人の繊細さや弱さ・儚さ」をしっかりと文字で見たような気になり、女性が読んでも不愉快になりません。これはヘミングウェイの他の作品にも共通している雰囲気で、海に対する敬意の現れです。
海(女性)が男性にとってどれだけ不可解で追い求めるものなのか。そして交通事故や戦争によってズタズタに引き裂かれた「男親」の苦しみを感じました。子どもを亡くす母の「自分の一部を損なう」ような苦悩はよく描かれますが、子どもを亡くす男親の心理描写をここまでしっかりと書いた作品は多くないと思います。というか、見たことがありません。
子どもという「輝かしい未来」を奪われた男にとって、「死」は恐怖ではなく甘美な誘いであり、自分の化身の子どもたちのいる場所。第三章では死を恐れずに「死は酒による酔いの延長」かのように描かれており、「これでよかったのだ」と思わされます。
戦争によって未来を奪われた男が、戦争を利用して自殺を図ったかのような結末になっています。
海流のなかの島々・見どころポイント&感想
海流のなかの島々・見どころ「海は女性」
「海流のなかの島々」はメキシコ湾流の中に点在する島々という意味ですが、「海は女性」「”流れ”は人生に起きる出来事」と仮定することもできます。女性はただ「姿を変えて見せ」て、島の形をほんの少し変えるだけで、不動にあり続ける男性に対して何もできないんです。男性はたゆたう自分をありのまま受け入れてほしいと女性に願い続けます。男女の間に「永遠」はなく、愛し合う奇跡の瞬間を分かち合うことだけしか許されないのだなと感じました。
…そこに子どもがいれば、男女間に「永遠」は生まれるのかもしれない、とも読み取れます。
海流のなかの島々・見どころ「老人と海との関連」
「海流のなかの島々」は作者が亡くなった後に発見されて、妻の手によって出版されたものなので、いつ書いたのかも明らかではない作品です。作中に登場する三男のアンドリューは、ヘミングウェイの三男のグレゴリーがモデルと思われますが、グレゴリーの出版した「パパ」という手記によると、1943年にはすでに「海流のなかの島々」は書き始められていたようです。
そして「若き海」「不在の海」「存在する海」の後に「老人と海」と続くのでは?とも推測されており、1952年に切り離された「老人と海」だけが出版され世界中から脚光を浴びることとなり、余計に不完全な「若き海」「不在の海」「存在する海」を完成させることができなかったのでは?と言われています。
もしも海流のなかの島々の延長として「老人と海」があるとしたら…あの爺さんがトムだとしたら…そんなに長い年月横たわる「男の孤独」は、悲しすぎて注視できません…。
「老人と海」だけでも孤独すぎて痛々しすぎるっつーのに
海流のなかの島々・見どころ「若トムの母のモデルは?」
「海流のなかの島々」の中で何度も何度も語られるのは、長男若トムの母のことです。
- 「出来ることならやり直したい」
- 「何とか彼女の助けになりたい」
- 「登場するだけで、その場にいる人すべてに恵みを与えるような女性」
と絶賛しており、愛してやまない女性として描かれています。「誰がために鐘は鳴る」のヒロインマリアとはまた違ったカリスマ的魅力があります。
長男若トムの母はヘミングウェイの友人の女優マルレーネ・デートリッヒがモデルと言われています。
Marlene Dietrich in an embroidered jacket from designer Elsa Schiaparelli. #fashionfriday #classicmovies pic.twitter.com/S65JntBOCd
— Amanda Garrett (@oldhollywood21) February 5, 2021
2人の結婚は彼女の浮気で破綻したと思われます。うっすらとそんなな描写があるが明記はされておらず、それを明記することすら、主人公トムのプライドに触るかのように、巧妙に隠して表現されているんですよね。このトムのプライドもまた、破綻の原因かと想像できます。
第二章の終盤で若トムの母は一人になり、若トムがかつて拾ってきた猫に向かって「私たち、どうすればいいの?あなたにも、わからないわよね」と語りかけます。
私は女性なので、彼女のこれから受ける心の重荷を思うと、泣かずにはいられないシーンでした。
けど、第三章を読み終えると、若トムの母親は不可解な「海」などではなく、血の通った等身大の女性であり、彼女もまたトムを気遣って、「何とかトムが立ち直る力になりたい。お互いに」と考えていたのだとわかります。ただトムが、「自分を愛する人間の気持ちを全く理解していなかった」のだと…。
海流のなかの島々・見どころ「戦争」
作者のヘミングウェイは第一次世界大戦に従軍し、スペイン内戦にも関わっているため、戦争描写がとてもリアルに描かれています。「海流のなかの島々」での戦争がどの戦争をモデルとしているかは定かではありませんが、ドイツ軍がキューバ海域まで攻めてきたのだとすると、ひょっとして第二次世界大戦がモデルかもしれません。1899年生まれのヘミングウェイが1939年に始まった第二次世界大戦を描いたのだとすると、ちょうど年齢も40歳くらいで、「海流のなかの島々」の主人公トムともかぶります。
戦争と死が身近にあった時代ですが、その最たる悲劇は「親よりも子どもが先に死ぬ」ことであると強く作中で訴えています。
海流のなかの島々・見どころ「主人公はヘミングウェイ?」
海流のなかの島々の主人公のトマスハドソンは、ヘミングウェイ自身がモデルと言われております。理由は…この作品が出版されなかったからです。もっと言えば、この作品が出版されるまでの「完成形」にヘミングウェイが作り上げなかったからです。作中に出てくる人物構成やハバナ近郊の「農場(フィンカ)」や、愛犬や愛猫の名前までも実名であり、別れた2人の妻との間の3人の子どもたちやその性格などは、作者のプライベートに酷似しています。
思いもよらずに「老人と海」が爆発的人気を読んだことから、「完成形にして世に出したい」と思ったにしろ、手を加えるにはあまりにもリアル過ぎたからではないかと言われているんです。
「リアル過ぎるとなんでダメなの?」と思うかもしれませんが…1961年にヘミングウェイは自殺をしてこの世を去っています。「海流のなかの島々」の主人公トムもまた、自殺のような「死への甘美」にいざなわれています。それを踏まえてこの「海流のなかの島々」を読むと、長い長い「遺書」にみえてくるんです。「遺書」をフィクション作品にはできませんよね。
世に受ける作品にするなら、手を加えて読みやすくしなければならない。けど、この作品はあまりにも「遺書」としてリアルなので、手を加えてフィクションにするわけにもいかない…。
そんな苦悩があったのでは?とファンの間ではささやかれていますが、推測の域を出ません。ただ「海流のなかの島々」が、むき出しの「我」を書き出したからこその感動を産んでいることだけは間違いありません。
ちなみにリアルではヘミングウェイは生前に息子を亡くしたわけではありません。第一次世界大戦には従軍経験があり、「老人と海」出版後には2度の航空機事故にあいました。
海流のなかの島々・見どころ「実は未完成作品」
「海流のなかの島々」は「陸・海・空」の広大な3部作のうちの一つだと言われています。結局3部作も「海流のなかの島々」さえも完成形にはならず、作者はこの世を去ってしまいましたが。
- 海の部…「海流のなかの島々」
- 陸の部…「河を渡って木立の中へ」のような感じの進化系の作品(が作られる予定だった)
- 空の部…第一次世界大戦でのV一号邀撃戦闘機隊での体験をもとにした作品(が作られる予定だった)
酒をあおって唾や噛みタバコを飛ばしながら「現実」をたたきつけてくるかのようなあの文体やハードボイルドの精神と同時に、女性に対する「かっこつけ」や「永遠の思慕」「こんな僕を愛して」と言わんばかりの少年ぽさをコラボしたあのヘミングウェイの三部作…ファンにとっては想像だけで心躍るものですが、永遠に見ることは叶いません。
海流のなかの島々とバナナフィッシュ
ふと懐かしくなったのでバナナフィッシュのアッシュを描いてみました。恩田尚之さんの描かれる絵は昔から憧れですね・・・。#BANANAFISH pic.twitter.com/AoeHKkafcR
— タケムラ (@takemura_san) February 10, 2021
海流のなかの島々の下巻の16ページあたりに、面白いやり取りが出てきます。主人公のトムがバナナを5本食べた後にお酒を頼んだら、給仕の男性が「バナナをたらふく食べた後にラムを一口飲んで死んだ人がいる」とおびえて、なかなかお酒を渡そうとしないんです。
バナナ…「バナナフィッシュ!」と思わず連想しちゃいました(笑)
マンガの「バナナフィッシュ」から「海流のなかの島々」にたどり着いた私にとっては、この逸話は見逃せませんでした(笑)。
そもそも「バナナフィッシュ」はバナナをたらふく食べて見にくくなった魚の姿があまりにも醜悪で、見るものすべてを死に招くというというサリンジャーの小説の「バナナフィッシュにうってつけの日」から来ています。サリンジャーのナインストーリーズの中のごくごく短い短編小説ですが、物語に漂う雰囲気は確かに「海流のなかの島々」と似通っています。「戦争」という大きな暗い影が常に付きまとい、人の死生観に影響を与えていることを強く感じます。
>>サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のあらすじ&感想はこちら
バナナフィッシュは主人公のアッシュがマフィアの抗争に巻き込まれていく様子をかき、やはり常に自身と仲間の死が恐怖としてあり続ける物語。カリスマ的な魅力と頭脳を持ち、国家的権力にも立ち向かう強さと攻撃力を持つものの、自分自身への弱さや内面に他者が介入することだけは決して許さない、孤高の主人公です。確かに海流のなかの島々の主人公トムとかぶる面もあるのだけど、バナナフィッシュの場合は心を捧げられる相手・英二に出会い、心を通わすという点でラストの孤独が全く異なります。
「バナナフィッシュ」とは、戦争を起こし周囲のものを食らいつくす様子を意味しており、戦争や欲望の醜悪さを比喩しています。
さいごに
私は学生時代にヘミングウェイの作品は全部読みましたが、アラフォーになって改めて読むと、当時とは全く違う感じ方をしていて驚きます。50代60代になって読むと、また違う感じ方をするかもしれない。ヘミングウェイの体験によって得た死生観に、自分はまだまだ追いつけないなと思い知りました。
海流のなかの島々はヘミングウェイ自身が出版用に直さなかったために粗削りで読みにくい面もありますが、じわじわと体の中に染み渡る情緒があるので、お時間あるときにぜひトライしてみてくださいね。
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