月と六ペンスは、20世紀初めにイギリスのサマセットモームによって描かれた長編小説です。
ゴーギャンの一生を書いた小説だと勘違いしている人も多いのですが、ゴーギャンはきっかけに過ぎません。
書かれている人物は作家モームによる創作です。
この作品をみて、「価値あるものとないものを比較するとき」に「月と六ペンス」と引用する人も多いのですが、その使い方は間違いです。
この作品は「月は価値があり、6ペンスはゴミだ」と言っているのではありません。
今回は「月と六ペンス」のあらすじと、何が月で何が六ペンスなのか、詳しく解説するので、文学を軸にした知識を深めたい方は参考にしてください。
この記事はあくまでも私の個人的解釈であることと、ネタバレの内容を含むことをご了承くださいね。
今後も有名文学の解説動画を頑張るので、チャンネル登録と高評価をお願いいたします。
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月と六ペンスの登場人物
月と六ペンスは、語り手である主人公の小説家が、ある男性の半生を追って語る物語です。
- 主人公…駆け出しの小説家で、ロンドンの社交界やヨーロッパに知り合いが多い
- ストリックランド…画家になるといって40代半ばで突然仕事をやめ、妻子を捨てて単身でパリの汚いアパートで絵をかき始める
- ストルーヴェ…パリの画家で、主人公やストリックランドの友人。気立てがよくプライドがないため、ストリックランドから見下される。ストリックランドの描く絵を、誰よりも高く評価していた最初の人物
- ブランチ…ストルーヴェの美しい妻
- エミリー…ストリックランドの妻。2人の子供がいて幸せに暮らすも、突然夫に捨てられる。
- アタ…タヒチに移住したストリックランドの2番目の妻となる15歳の少女
3人の女性たちはストリックランドに愛と人生を捧げますが、彼は女性を軽視して、絵をかくことのみに人生を捧げます。
月と六ペンスのあらすじ
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主人公は物語冒頭で、40代で株の仲介人をしているストリックランドという、退屈で取るに足らない人物に出会います。
ある日ストリックランドは突然、短い手紙一つで妻子を捨てて、画家になると言ってパリに行ってしまいました。
そして貧しい暮らしの中で、絵をかくことだけに没頭する日々を送ります。
パリには主人公の友人のストルーヴェという画家がいました。
ストルーヴェはプライドが低く、外見もパッとしないため、周囲の人から軽蔑されていましたが、優れた芸術作品を見る目だけは確かでした。
ストリックランドの描く絵は変わっており、周囲の人からはゴミ扱い。
けど、ストルーヴェだけは「彼はものすごい芸術家だ」と誇大評価していました。
ある日ストルーヴェは、病気で熱を出して苦しんでいたストリックランドを自宅に連れ帰って、妻とともに献身的に介護します。
しかしストルーヴェを見下してバカにするストリックランドは、命を助けられた恩も踏みつけて、ストルーヴェの妻のプランチを寝取ってしまいます。
夫を捨てたブランチは、ストリックランドとの愛憎のもつれから自殺をして死んでしまいました。
失望のうちに故郷に帰るストルーヴェ。
主人公はストリックランドの非情なふるまいを怒りますが、当の本人は「バカな夫とバカな妻だった」となんの気にもしません。
絵をかくこと以外、どうでもいいという様子なのです。
画家として全く成功しないストリックランドは、その後タヒチに移住し、現地の妻子を持ち、絵をかき続けます。。
最後は病気で亡くなります。
死後4年たってから、ストリックランドの絵には莫大な高値が付けられ、主人公は初めて、ストリックランドの非情に見える生き方は、至高の芸術の高みを目指すためのものだったのだと、知ることになります。
月と六ペンスの感想
20世紀初頭のどこの国でも、有名小説の行間からは、女性の地位の低さが垣間見えます。
夏目漱石の「こころ」では、女性は結婚して一生保護すべき相手ではあっても、心を通わせる間柄ではありません。
フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」では、女性は知性教養ある同じ人間ではなく、テーブルにいけた花くらいの感覚で描かれています。
私も女性なので、女性が「愛すべきペット」のように書かれている小説を、心から賛美する気にはどうしてもなれません。
しかし、同じ時期に書かれた「月と六ペンス」は全く違う印象でした。
ゴーギャンをモデルにしたストリックランドという画家は、口をひらけば女性蔑視の発言をします。
「愛などいらん。おれも男だから、時々は女が欲しくなる。欲望は魂の枷だ。おれは、全ての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。そうすれば、何にも邪魔されず絵に没頭できる」と…。
その後、自分の命を助けてくれた友人の妻ブランチを「いい体をしているから」と寝取った上に、絵のモデルとして裸体像を描いた後に「興味をなくした」と言って捨てます。
ブランチが失意のうちに自殺をしても、眉一つ動かさず、その夫のストルーヴェに謝罪の気持ちすらありません。
その後、タヒチで結婚した15歳の妻のアタを気に入って、生涯側におき続けますが…
アタを気に入った理由は「あの子は俺に食事を作り、子どもの世話をする。俺の言うこともきく。そして俺をほおっておいてくれる。女に求めるものをみな、与えてくれるから」というのです。
アタは奴隷的で、自分に完全に都合のいい女性だったために邪魔にならなかったにすぎません。
一見「月と六ペンス」は女性を散々な目に合わせてるストリックランドを酷いと考えがちですが、それは間違っています。
登場する女性たちはみな、意志や情熱をもち、それらがしっかりと描かれているからです。
命を懸けて男を愛し抜く様子が、臨場感をもって書かれているのです。
登場人物のストリックランドがどれほど女性を残酷に扱おうが、相手の女性の愛に、重い価値があるように書かれているため、女性蔑視は感じません。
最後の妻のアタだけは、意志を持たない造花のような印象を受けますが、国と年齢の違いを考えると納得できてしまいます。
この本の作者のサマセットモームは、まるで日本のアニメーターの宮崎駿さんのように、女性心理をよく理解しています。
だから、女性目線でこの本を読んだ時に、目に見えない男女差別を全く感じずにいられるのです。
「こころ」や「グレートギャツビー」や村上春樹さんのいくつかの作品は、男性中心の物語で、ハードボイルドな世界観は面白く感じます。
しかし目に見えた差別は書かれていなくても、どこまで行っても「俺は俺は、僕は僕は…」と世界の中心に俺がいて、女性自身の心の声は書かれません。
女性を同じ人間と考えておらず、男を男たらしめる付属品か、頭の悪いペットのように考えてないか?と女性視点から感じるのです。
露骨に描かれた女性差別の作品よりもよほど、女性蔑視が読み取れてしまうんですよね。
しかし、月と六ペンスは、違います。
女性は壁にかけた美しい絵画のようには書かれていません。
そこには確かに、男性への愛に人生をかける、生々しい女性の心の声が聞こえるんです。
現代の日本女性でも十分共感できる女性心理がしっかりと書かれているんです。
サマセットモームは、女性の心理をものすごくよく理解している作家さんだとわかります。
そして、世の多くの女性が求める「愛すべき男性と幸せな家庭を築いて、生涯そいとげたい」という、女性が男性に捧げる愛を「六ペンス」と言っているんです。
読み終わってそのことに気が付いた後でさえ、私はこの本は女性を全く軽視していない上に、女性が男性に捧げる愛を軽く考えているわけでもないと思いました。
「六ペンス」の天秤の対極には、ゴーギャンを彷彿とさせる偉大な芸術家を置いているため、読んでいる女性読者に「こりゃー私たち、六ペンス扱いされても仕方ないわ…」という気持ちにさせるんです。
ストリックランド自信が、自分の人生を捨てて落ちぶれて、至高の高みに身を投じているのを見ていると、彼を愛する女性もまた、彼が至高の高みを目指すことを邪魔しちゃいけないだろう、と考えてしまうんです。
月に行こうとしている人物に、「六ペンスあげるから、あたしと結婚して幸せな家庭を築いて!」と頼むなんて、割に合わないですもんね。
いうなれば、「月と六ペンス」は男女関係なく、「偉大な芸術家」と「普通の幸せを求めるほぼ全員の地球人」を区別している作品なんです。
月と六ペンスの3人の女性の意味
最初の妻エミリー
ストリックランドの最初の妻エミリーは、「彼は必ず戻ってくるし、一時の過ちを私は許すつもりです」と言っており、夫が月という芸術の高みを目指す気持ちを全く理解していません。
夫に捨てられた後、2人の子供にその事実を隠したり、自ら仕事をして家計を支えるなど、シングルマザーとして奮闘する様子が書かれています。
巻末では兄からの財産を受けついで安定した生活の中、立派に育った息子と娘を誇りに思い、素晴らしい人生を歩んでいます。
上流階級の女性らしく、「わきまえた」控えめで社交性の高い素敵な女性です。
しかし、自分たち家族と暮らすことを、月よりも価値があると信じて疑わない点で、月と六ペンスの価値を見誤っています。
長年連れ添った夫婦であっても、夫の芸術性を見抜けずにいました。
ブランチ
パリでストリックランドの情婦となったブランチは、夫を捨ててストリックランドの絵のモデルなどをしている点では、彼が月に登る助けをしています。
優しい夫を捨てて、全てを投げうってストリックランドについていく点で、愛と情熱の強い人物であることがわかります。
しかし、その後彼に結婚や安定した生活を持ちかけている点で、やはり「六ペンスあげるから月なんかに行かないで」と言っているようなものです。
月を目指すストリックランドが邪魔に思ったのも無理はありません。
「いつでも僕の元へ帰っておいで」という元夫のストルーヴェに対しては、最後まで冷徹に接しました。
興味なくした男に対する女の冷淡さをむき出しにしていました。
自分への愛が打ち砕かれて自殺したブランチに対して、ストリックランドは「女は恋愛くらいしかできないから、ばかばかしいほど愛を大事にする。」と見下します。
タヒチの幼妻・アタ
最後にタヒチでストリックランドの妻となったアタは、ストリックランドが自由気ままに絵をかく生活に没頭することを、全く邪魔せずにいたという点で、一番ストリックランドの芸術に貢献しています。
ただ、アタがエミリーやブランチに比べて、ストリックランドの芸術性を理解していたかというと、そうでもありません。
この本が書かれた時代は、タヒチはフランスの植民地として、住民は文化や言語を奪われて厳しい状況にありました。
支配国のフランス人に対して、現地人は奴隷のような立場です。
50歳くらいの白人のストリックランドに対して、15歳の妻であるタヒチ人のアタが、自分をストリックランドと同等の人間として価値を置いていたとは考えにくいのです。
アタは奴隷として自分の意志を押し殺し、ストリックランドに心地いい空間を作っていたにすぎません。
少なくともストリックランドはそう考えていました。
けど、ラストでストリックランドがハンセン病にかかって隔離を余儀なくされたときに、「あんたを愛しているから、死ぬまで側にいる」と言い張るアタは、初めてストリックランドに女性の愛の重さを感じさせました。そして彼は涙を流したのです。
感情がないのではないか?と思われたストリックランドが、この作品で始めて人間らしい感情を見せた瞬間でした。
月と六ペンスを読む読者全てが、最後の最後にストリックランドに「六ペンスの重みと輝きを感じさせた人物」として、アタに拍手を送りたい気分になるでしょう。
3人の女性の生き方をしっかり書くことで、伝えたかった事
男女の愛に人生を捧げて、それを至高の宝としてあがめる人々はたくさんいます。
けど、偉大なる芸術の前では、「男女の愛」は六ペンスほどの価値しか持たないんです。
六ペンスの価値しか持たない愛に身を捧げる女性たちをリアルに生々しく書くことで、モームは「偉大な芸術家」を「月」という高みへと、見事に押し上げたのです。
決して「六ペンスでちっぽけだ」と愛を見下しているのではなく、至高の芸術とは、比べ物にならないほどすごい物なんだ!と強調しているんです。
「月」はなに?「六ペンス」は何を表しているの?
訳者の金原瑞人さんは、あとがきで「月」を夜空に輝く美、「六ペンス」を世俗の安っぽさ。
もしくは、「月」を狂気、「六ペンス」を日常。としています。
私は違う解釈です。
「月」は「偉大なる芸術の高み」で、「六ペンス」は「偉大な芸術家を支える女性たちが、彼に捧げる愛」です。
作中でストリックランドは繰り返し、女性蔑視の発言をします。
「女は男を愛すと、魂を所有するまで満足しない。女は弱いから、相手を支配しようと必死になる。支配するまで決して満たされない。女は狭量だ。抽象的な考えには腹を立てる。理解できないからな。物にばかり目が行き、理想に嫉妬する。男の魂は宇宙の果てをさまようが、女はその魂を家計簿の項目に入れたがる。」
と言います。
とんでもない女性蔑視の発言ですが、本を読み終わった後、不思議と女性蔑視を感じずにいられるのは、作家のモームが六ペンスの価値も、作中にしっかりと書き込んでいるからです。
この作品は、「月は価値があり、六ペンスはゴミだ」と言っているのではないんです。
「六ペンスは美しく素晴らしい輝く硬貨だ…けど、月を目指して歩き始めてしまった男は、六ペンスを得るために人生の方向転換をすることは、どうしてもできないんだ…」と言っているんです。
六ペンスは日本円で5円玉くらいのものですが、別に1000円札でも1万円でもダイヤモンドに置き換えてもいいくらいのように、作中には尊く書かれています。
だからこそ余計に、至高の芸術は、地球上に存在するあらゆる物質や感情を凌駕する高みにあるのだ、ということが伝わってきます。
ただ、天秤の両端には価値のわかりやすいものを置いた方が、よりインパクトがあります。「月とダイヤモンド」だと、意味が伝わりにくいですよね。
だからモームは「月と六ペンス」というタイトルを付けたのでしょう。
六ペンスのために人生を捧げた女性たちが、現代を生きる私たちにもよく理解できるように書かれているため、読み終わった後に「六ペンスに価値がない」とは感じませんでした。
偉大なる芸術の高みは、私たちの想像を絶する価値があるのだと、その芸術の偉大さが浮き彫りになるだけなんです。
さいごに
「月と六ペンス」は、この時代の作品としては、等身大の女性の心情を見事に書いている作品として、大好きな作品の一つです。
ブロンテ姉妹やローラ・ワイルダーやマーガレット・ミッチェルなどの女性作家以外で、ここまで女性の献身的な愛を敬意をこめて書いた作品はないのではないか?と思えるほど、モームは女性に敬意を払った書き方をしています。
男女問わず世界的に人気なのは、そのためでしょう。
サマセットモームは同性愛者としても有名な作家のため、ハードボイルドを好む男性よりは、女性の心理描写が綿密で繊細なのだと思います。
「面白い作品こそ文学である」というモームの作品は、文句なし、どれもスラスラと読める面白さが最初から最後まで継続します。
読み始めの固い文体で挫折したり、読み終わった後に「なんじゃこれ、意味が分からん」とはならないんです。
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最後まで聞いてくれて、ありがとうございました。